12/9(月)滋賀県研修旅行2日目(姉川古戦場跡) | 人と犬の整体院 『壮寿堂』 ー人と犬の健康と幸せの為にー     
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     姉川合戦の舞台となった姉川古戦場跡を攻略(見学)して参りました


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     姉川合戦とは1570年に織田・徳川連合軍と浅井・朝倉連合軍がこの地で争った合戦の事で、自分が最も敬愛する戦国武将である本多忠勝公が朝倉軍1万の軍勢に『単騎駆け』(1人で攻め込む事)を敢行した事や、織田軍が敷いた13段の陣のうち11段を破った磯野員昌の『姉川十一段崩し』や、浅井勢の敗北が濃厚となった事で信長と刺し違える為に味方武将の首級を掲げて織田方の兵に成りすまして本陣に乗り込んだ遠藤直経の『悲壮な覚悟』など、見所満載の合戦であります‼︎

     また、織田・徳川が勝利したという事実は変わらないものの合戦の内容については諸説あり、そういう意味でも「自分の目でしっかりと現地の状況を確認・把握して事実関係を独自に考察してみたい」というのもありました。
    (こういう部分が自分にとっては「施術の見立て」の考察と似ていて、施術の感覚を磨くのに非常に役に立ちます)

     姉川合戦に至る経緯は、まず織田信長が20000人もの大軍を率いて浅井家の居城・小谷城を攻めますがその堅城ぶりに攻撃をわずか1日で放棄して、姉川の南にある横山城を包囲して信長自身は竜ヶ鼻に布陣し浅井軍を平地におびき出す作戦を取ります。

     これは浅井家は長政の代に北近江の戦国大名として成長したものの、元々は京極氏の被官であった事からその配下も同じく京極氏の被官あって実質的には北近江の豪族連合の代表的立場であった事から、もしその配下を見殺しにするような事となれば豪族連合の代表としての求心力を失う事となってしまう為に、浅井家にとっては犠牲を払う事になっても無視する事は出来ないという事情を見透かしての作戦であったのでしょう

     案の定、浅井長政は5000〜8000人の兵を率いて小谷城から姉川方面に出撃して来ました。
     浅井氏の援軍要請を受けた朝倉軍も約10000人の兵を率いて同じく姉川方面に出撃してきました

     徳川家康は信長の援軍要請を受けて約5000人の兵を率いて織田軍と合流しました

     ここに織田・徳川連合軍と浅井・朝倉連合軍が姉川の南北に分かれて対陣する形となりました

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    『姉川古戦場』
     ここで浅井軍と織田軍が激闘を繰り広げたとされていて、ここを流れる小川は戦場の将兵の血で染まり「血川」と呼ばれるようになったそうです
     今では姉川合戦の死者を弔う碑が建てられています。

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    『陣田』
     大依山に布陣していた浅井長政が軍を進めて本陣を構えた場所
    姉川の対岸には織田方の大軍が13段の陣を構えていたと言われており、その姉川に近い所にまで本陣を寄せている事からもこの合戦にかける浅井長政の気迫が伝わってきます

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    『三田村氏館跡』
     浅井方の援軍として参陣した朝倉軍が本陣に使用したと考えられている場所です。
     浅井勢と織田勢が向かい合う場所からは相当離れた西側にあり、この時の朝倉方の主将が当主の義景ではなく一族衆の景健である事からも朝倉勢の合戦にかける意気込みの低さが感じ取れます

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     織田信長は茶臼山古墳の後円部にあたる龍ヶ鼻陣所に本陣を構えていましたが、姉川合戦前日に浅井・朝倉両軍が北面に撤退する動きを見て率いている軍勢の大半を横山城の包囲に向けます。これはおそらく浅井・朝倉両軍を姉川に引き止める為の囮であったのだと思います。
     
     一説にはこれによって織田軍の備えが薄くなった間隙をついて浅井・朝倉連合軍が奇襲を仕掛けたというのがありますが、もし信長が浅井・朝倉両軍が北面に撤退するのを本気にしていたのであれば大軍を横山城などという支城の包囲などには向けずに浅井・朝倉両軍の追撃を開始していたでしょうから、浅井・朝倉両軍の動きが偽装であるとは認識していたと思います。
     つまり信長は敢えて隙を見せて浅井・朝倉両軍を姉川に引きつけたと見るのが妥当であると思いますから、姉川合戦が浅井・朝倉軍による奇襲戦であった可能性は低いと思います。

     そして姉川から龍ヶ鼻陣所までの距離が狭いので13段の構えで備えるもは難しいという説もあるそうですが、これはむしろ夜明けになったら織田方から一斉に姉川を渡って浅井方の陣営に攻め込む(敵前における渡河作戦を円滑に行う為)の準備であったとすれば十二分にあり得る陣構えでもあると思います。

     ただ、浅井長政(というか、恐らくは遠藤直経)も信長の戦術を読んでおり、信長が狭い対岸に大軍を配備して渡河作戦を開始する前に機先を制して部隊を渡河させて突撃を行い織田軍を混乱させ、その隙に一気に織田本陣を突くという特攻作戦を決行すべく信長の想定よりも部隊を先行させ浅井長政自身も姉川すぐ近くにまで前進して本陣を構えたのだと思います

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    『陣杭の柳』
     一気に決戦に持ち込もうとする浅井方の動きを見て信長は竜ヶ鼻から西側にある平地に本陣を移しました。
     本来であれば地形の起伏を生かした場所に陣を構えるべきなのがこのような平地に陣を移したのは、浅井長政の仕掛ける決戦に応じる気迫を自軍にも見せつけて士気を高める為と、西側で争う徳川方と朝倉方の情勢を常時確認出来るようにする為ではなかったのかと推測します。

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    『岡山』
     徳川家康は織田方の西側にあるこの丘に陣を敷きました。
     後に戦いに勝ったことに因んで「勝山(かつやま)」と呼ばれるようになったとされます。

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     合戦の序盤は浅井方が姉川を渡って織田方に突撃し、浅井方の先鋒である磯野員昌は織田方の13段に構えた陣のうち11段の陣を突き崩す活躍もあって織田方は苦戦に追い込まれたとされています

     徳川方は朝倉方と激突、序盤は数に勝る朝倉方が徳川方を圧倒していたようですが、ここで徳川方の本多忠勝が単騎で朝倉方に突撃を敢行したのを機に徳川方が攻勢に転じて激闘が展開されたようです
     この時の本多忠勝の単騎駆けを見た織田信長は「日本の張飛」とその並はずれた武勇を激賞したと言われています

     この時に朝倉本陣が戦場から西側に大きく外れた所に構えたのが災いして朝倉軍の戦線が伸びてしまい、それを見た徳川家康は榊原康政に別働隊を率いさせて姉川を渡らせ朝倉方の本陣を突かせました

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     元々戦意が高くは無かったであろう朝倉景健率いる本陣は敗走し、これによって朝倉方は総崩れとなって姉川を渡って撤退に移り、徳川方も姉川の対岸に渡って朝倉軍を追撃し、朝倉方は多くの死傷者を出して敗走しました

     徳川方が朝倉方を敗走させるのを確認して、遊軍として控えていた西美濃三人衆の軍勢が浅井方の側面を突き、また徳川軍も織田軍の援護として浅井軍に攻撃を仕掛けます
    (おそらく朝倉軍を追撃して姉川を渡った徳川軍はそのまま姉川対岸で指揮を執っていた浅井本陣に攻撃を仕掛けたのではないかと推測します。これによって浅井方の先鋒衆も突撃を断念し、本陣の前で追撃してくる織田軍と激戦を展開後、撤退に移行したのでしょう)

     浅井方の敗戦も濃厚となった状況となり、浅井長政の忠臣で智勇共に優れた遠藤直経は、せめて信長と刺し違えんと味方武将の首級を掲げて織田方の兵に成りすまし、織田方の本陣に1人で乗り込みますが織田信長まであと少しというところで竹中久作(竹中半兵衛の弟)に見抜かれて討たれてしまいました

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    『遠藤直経の墓』
     遠藤直経が討ち死にした場所に建てられたという塚が今現在ある場所よりも約40m程北の畑の中にあったそうで、平成9年の圃場整備事業の為に今現在の場所に移されたしたそうです

     姉川古戦場跡の攻略(見学)は自分にとって大変充実したものとなり大満足でした



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